非現実でしか生きられない人


友達にこの間まで世界一周してた男の子がいて、久しぶりに会った。この人、世界一周しちゃうくらいだから、まあ変わっている人で。私はレモンスカッシュをぐびぐび飲みながら4.5時間ベラベラ喋る。


彼は世界一周の最中、散々いろんなことを考えたみたいで、ずっと一人で旅しているわけだから自然と思考のも自分の内側、内側にに向いていったらしい。そんな自分と対話して、いろんなことを考えている人から出てくる言葉って本当に面白くて、そんな人の話を聞くために HITO TABI をやっているようなもの。(不定期だけどね。)


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私は「しあわせ」というものにしばらくの間とらわれていたのかもしれない。例えば、好きなアーティストのライブに行く、夢の国に行く、とかこういうのって確実に幸せが保証されているようなものでとびきり気分が高揚して、楽しかったり、嬉しかったり、とにかく明るい気分、色、雰囲気に包まれるじゃない。


じゃあ、それ以外の日は幸せじゃないのかって。でもそんなはずはなくて、もし幸せじゃないなんてなったら、そんな寂しいことはないな、ってずっと思っていて。だから、毎日幸せを見つけて拾っていけるような日々だったら素敵だなって思っていたんだよね。


これは、ちょっとお散歩した時に夕日の光が怖いくらい眩しくて恍惚感に満たされた時の写真。私が毎日見つけたい幸せっていうのはつまり、こういうこと。




でも、それも少し違うのかもっていうのを彼と話して思って。


まず、私がこう思っている上で しあわせ=絶対的にいいこと、っていう先入観が確実にあって、幸せなのはいいこと、毎日幸せに暮らしている私いいでしょ、嫌なことなんてないんだ、みたいな風に捉えられるわけで。


でも、辛かったこととか大変だったことだって振り返ってみれば楽しかったなあ、なんて思うことたくさんあって。例えば、高校の文化祭の準備とかさ。


いつどんな時も しあわせ に生きられることなんてなくて(風邪ひいて辛くなったり、お腹痛くなったりもするし)


いつどんな時も しあわせ を感じながら生きる必要はなくて、純粋に呼吸して今日も目を覚まして生きている、それだけでいいのかな、ってかなり深いところで落ち着いた。



そうなんだけど、そうなんだけど、



好きな邦ロックバンドのライブに行くのを本当に楽しみに私はこの間までずっと生きていて。私にとって彼らのライブは現実逃避であり非現実、夢の世界。彼らの音楽に生で触れ合ってもみくちゃになっている時はもう何もかも忘れちゃってるんだよね。そしてその時間って本当に言葉にならないくらい最高なんだ。


つまり、私は現実から逃げたくて、現実のことを一切忘れている時を幸せだと感じてる。結局、現実世界での私は死んでいるのと同じなんだ、って。


でも私は、その夢の世界で現実を生きるための光をいつも探している。


そしてそれを求めてまた、夢の世界へ足を運ぶ。



2016.11.21






a m 3

わたしの生きたい世界で生きたっていいじゃない

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