詩歌集を出版していたり、バンド活動をしていたり。どこか少年のような、でも落ち着いた中にある独特な雰囲気を持つ、竹谷岳さんにいろいろお話を伺ってみた。
岳さんとの出会いは、大須で行われたあるご夫婦の写真展。たまたま立ち会わせたのがきっかけ。
岳さんは変な人らしい。よく、そう言われるとのこと。実際に、直接話していても、否定はできないような、なんだか独特な雰囲気を持っている。岳さんの世界がある。1度会えば、皆分かるはず、そんな自分の世界を持っている人。
岳さんのことを語るには中学時代まで遡ることになる。その頃習っていたピアノの先生の息子さんに誘われ、バンドを組んだ。初めはギターのはずだったのだが、親戚のお兄ちゃんの所有していたドラムを叩いたことがあったからか、思いの外上手く、そしてドラマーになった。この頃から歌詞を書いた。当時は雰囲気、趣のある言葉、見た目のかっこいい言葉を並べただけのようなものだったという。
高校生になってからも書き続け、大学生になってからは詩も書くようになった。
軽音部に所属、部員とバンドを組んだ。勿論、この時もドラマー。お客さんの前で歌う以上、お客さんを楽しませてなんぼ。と思っている中、自分も前でパフォーマンスをしたいと思うようになる。それから自分がフロントマンとしてバンドを組み、掛け持ちで活動していくことになる。岳さんにとって、音楽は作品。本、写真、彫刻と同じ、自分の中を消化させるための1つ。自分で作ったものを発信できる場、という。
自分という存在、生きた証を残すための創作活動。
meme(ミーム)という言葉を知ったのが大学2、3年生の頃。memeとは遺伝子との類推から生まれた、文化・情報を、複製・伝搬させていく概念のことを言い、人間にしかない、自分を残したいという意味合いを持つ。この言葉をずっと内に持っているという。きっとそう思うのも、はっきりと心当たりがあるわけではないが、昔、認められたくても認められなかった経験が、ずっと奥底にあるのかもしれないという。人間は皆、承認欲求を強く持っている生き物だと、私も聞いていて強く思った。
詩歌集を出したきっかけ。
子供の頃からの夢だった。何か形にしないと、表現する活動を続けていないと、自分自身が消えてしまいそうになった。退廃感に苛まれそうになった。その今まで書き連ねた言葉も、今までの人生も、その時の感情全てが。目に見えるもの、手に取れるもの、形あるものにすることで、自分自身が安心できるからっていうのもあるかもしれないと、ぼそっと岳さんは呟いた。データというものは、重さも、手触りも、匂いもない。本にするというのは、紙質だったり、インクの色や加減だったり、カバーのデザイン、しおりをどうしようか、など。文章以外の場所で、1つの作品に詰め込める作者の思い、考え、情報量がネットやデータとは違いすぎるのだ。声に出した言葉はデータよりも消えるのが早い。感情を表現するには言葉は欠かせないものであり、選んだ言葉も自己表現の結果。これもアイデンティティ。言葉を本当に大切にしていることが分かる。
バンドによって分けている。
歌詞を書く際、Lucy Campanellaでは、日常をベースに、青臭さ、少年の心、情景から受けて出てくる感情を。LASHOMONSでは、物語のように、作った世界をベースに、全ての曲の歌詞を繋げると1つの物語になるような書き方が出来たらと構想中とのこと。とはいえ、話を書くだけ、あらすじのようなものではダメで、その中でどこに共感のポイントを持ってくるかに重きを置いて書き進めている。
作品に対して見た人、聞いた人に考えさせるのはいいけど、絶対に作り手は責任を持つべき。自分の考えを押し付けたくないけれども、共感して欲しくて書いているようなところもある。やっぱり誰かに認められたい、と思う気持ちが隠れている。分かる、と言ってもらえるのはとてもうれしいこと。1-100の共感は無理でも、歌詞や詩のほんの一部、ちょっとだけでも共感してもらえたら。
趣味は執筆、読書、芸術鑑賞。
元々、能動的な行為が合ってるという。例えば、読書。勝手に体に入ってくるテレビ、漫画、ではなく、自分の目で活字を追っていく行為、それが読書であって、それが好きなのだという。それから純粋に楽しいから。また、読書は言葉を得る一つのツールでもあるという。
楽しい、と思うのはどんな時?
本を読んでいる時。普段やらないことをしているとき。モデルをやっているとき。
でもこれらは終わってしまうことが頭をよぎると、寂しさで叫びたくなる。楽しいことには、すべて終わりがあって、そして形として残るものではない。その寂しさがあってこその、楽し
いという感情なのかもしれない。
嬉しい、と思うのはどんなとき?
いい曲が出来たとき。夕焼けが見れたとき。また、スケールの大きいものを見ているときは何故か、安心するという。出身は岐阜県、つまり海がない。だから今でも海は特別なものという感覚があり、ドキドキする。夜、波の音だけ聞きに行くのも好きだという。
好きだった場所。
高校生の頃、近所に団地を作るために山を削っていたところがあった。休みの日になると、工事は一旦休みに。その誰もいない工事現場に忍び込んで、1人、物思いに耽っていたあの場所は今は無き、特別な場所だった。高校生の頃に一人になるということが欠かせないことだったのだという。
最後に、これからも生きていきたい?
生きたい。でも、毎日を全力で生きているから、明日地球が滅ぶとなっても後悔はない。
この対談後に岳さんの詩集を読ませていただいた。中学生のころから書き溜めていたものから今までの詩を季節の流れにそって掲載されている。言葉は柔らかく、男女関係なく自分に置き換えて読むことができる。そこに懐かしさとむず痒さを奥で感じた。
ここまで自分自身を真剣に生きている人は珍しい気がする。でもその姿勢が目に映る世界を美しくし、豊かにする。わたしはその様子をこれからもそっと見ていけたらと思う。

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