SiouxTerasu



大阪に暮らす大学生、特技は見たい夢を見ることというちょっぴり変わった女の子、スゥ・テラスさんに会って話を伺ってきた。



ーーーーー 今までの経緯。


幼い頃から人を美しくすること、服や化粧、髪を切ること染めること、食事療法のような体の内側から美しくすることに興味があった。それを仕事にすることを望んだ。トータルビューティーコーディネーター。人を内面から外見から全てを美しくする職に就きたかった。中学生の頃、中学校を卒業してすぐに入学できる専門学校を調べ、自分で計画的に人生プランを立てた。だが、親に高校はせめて出て欲しい、と言われてしまう。それなら、美容の次に興味があって、好きなこと、それがものを作るということだった。ものを作る授業を選択できる、実家から通うことができる、そして制服がかわいい高校へ進学した。


それから高校の3年間、ものを作るということを続けた。高校を卒業したら美容の専門学校に行くところから始めようと、「さあ、願書を出そう」というところでふと、『私は本当に人を美しくすることをしたいのか』という疑問が頭をよぎった。ずっとずっと0から人を可愛くしたい、美しい人をより美しくしたいと思っていたはず。それでも自分は人とコミュニケーションをとることが苦手、そしてきっと自分が好きだと思える人しか100%の力で美しくすることはできないと悟った。


人を可愛く、美しくすること、その次に好きなことってなんだろう、と考え出した答えがやっぱり “ ものを作ること ” だった。小さい頃からずっと変わっていなかった。それを決断したのが高校3年生の夏。それまで、デッサンの勉強をしたこともない、塑造もしたこともない状況で、たまたまAO入試で入学できる学校があった。そこは細かい縛りがなく、総合的に勉強できる環境が待っていた。まさに今の自分にぴったりの場所だった。



ーーーーー 当たり前が当たり前でない環境。


お母さんは服飾の学校を通った後、美容室で働いていたために、洋服をたくさん作ってくれたり、髪も家で切ってくれていた。自分の欲しいものは買うよりも作る、ということが当たり前の環境の中で育てられた。昔から自分で髪を結い、お化粧にもお姉ちゃんの影響もあり周りよりも早くからしていた。幼い頃から周りの大人に「何になりたいの?」とよくよく聞かれ、「今、私は○○が好きだから、○○になりたい。」と答えた。じゃあ何が必要、何がしたい、という風に計画的に考えてきた。おじいちゃんが書道家、お母さんの兄弟にはデジタルデザインをする人が2人いる。一般的に “普通” と言われるような、大学に行って就職したという人が1人しかいない。そういう環境に置かれていたこともあり、みんなが当たり前だと思っているような、「高校へ行って、大学へ進学して、企業に就職する」という道筋はその人自身が望んで選択した結果だと思っていた。だからこそ、小さい頃から自分の将来は自分で選択していく、考えていく、と自分の道を少しずつ創っていった。



ーーーーー 自分の中の世界と現実のギャップ。


自分というものがすごく強い時期があった。周りなんか関係ない、自分で自分の道を作っていけばいい。自分がやりたいことをわかっていればいい、自分が絶対的に正しい、と思っていた。その時、ある男の子に「お前は俺の周りにいる全員から嫌われている」という悪い噂を聞かされた。結局、その噂はでまかせだったことが判明したが、この出来事はひどくダメージを与えた。自分の感覚や自分の考えていたことが、絶対でないことにこの時初めて気がついた。自分の感覚が間違っているなんてことを疑ったこともなかった。そして、今まで気づかなかったことに衝撃を受けた。


自分がそれだけ強く入られたのは、周りを本当に見ていなかったから。気付けば、喋ってみたいなという子と全く話すことが出来ない。自分の自由がきかなくなってしまっていた。


時間の経過とともに男の子に言われた出来事を美化していた。このことがあったから私は変われた、いいものを作れるようになった、自分のことをもっと好きになれた、と。すると昔からの友達に、「もうそろそろそういう気持ち、その出来事に感謝する気持ちはええんちゃう、もうそろそろ自分に自信を取り戻して、自分の信じることをすればいいし、言えばいい、もう自分のことわかってくれる人しか、周りにおらんやろ」と言ってもらった。過去の出来事で自分は変われた、自分のことを好きになった、嫌いにもなった。それは確かだが、絶対ではない。そして今、友達にそんな風に言ってもらえるような人になれた。人の影響は大きい、そしてそれを含めて自分だ。



ーーーーー アクセサリー制作のきっかけ。


5月の海。この時、何もない海辺に6時間滞在して、私たちバカなのかな、と思った。それでも、一見無駄に見えるようなそういう時間はすごく大切で、誰かと同じ時間の感覚で過ごせるということはすごいことだと思った。一緒に行った友達にありがとうと伝えるために、アクセサリーという手に取れる形にして、2人に渡そうとしたことが始まり。それから、人にありがとうを伝えるために、広く作るようになった。


生きている中で考えてることや、少し気にしてて考えたりしていることだったり、人それぞれあると思っていて、それをやたらめったら考えて注目してそれを形にしてみんなに伝え直している。考えたいと思ったことは、考えなくていいところまで考える。小さい時に、宇宙はどこまであるのか、なんで手は動くのか、みたいなことを考えていた人は大きくなってからも考えるくせのようなものが染み付いてる気がする。


友達に個展でアクセサリーを販売させて欲しいと頼まれたのがきっかけで販売目的でも制作するように。それまで、自分が作ったものにお金を払ってもらうなんて考えたこともなかった。元々、自分が身につけたいと制作し、それをネットに上げていたのをその友達が見つけてくれた。SNS上で「買いました」「可愛いです」「たくさんつけます」と、SNSを通して言ってもらえたのが嬉しかった。友達が私を広げてくれたような、間接的に自分が広がっていくイメージがあった。



ーーーーー どこまでが私で、私はどこまでなのか。


私ってなんだろう、私ってどこにいるんだろう、そんなことを日頃から思っている中で、きっと何者かになりたいからものを作っているのだと思う。私という中身があるとして、果たしてその服は体を入れるための「いれもの」なのか、それともその服も含めて私なのか。これを探るために現在、卒業制作で3種類に分けて作品を作っている。


「いれもの」という言葉に対して、「自分のことを大切にしまって、守って、目標地点とか、会いたい人のところまで守ってくれる。その道中や、行った先で見つけたもの、感じたものをしまっておくもの。」というイメージがある。いつかどこかで出会ったものや、人からもらった言葉、何か自分の中で変化があった時に今まで溜め込んできたものが昇華して、自分を作るものに変わる。



ーーーーー 写真を撮るために友達と出かける休日。


写真を撮ることが好き。同じものを同じような感覚で見たり聞いたり、話せる人や、同じ時間を同じ時間の進み方で進める友達と一緒にいることは幸せの一つ。映画を見たり、買い物したり、クラブ行ったり、それ以外の娯楽ってなんだろう、ということを遊ぶってなんだろうと考えていて、探したら難しくて。何をしても楽しいと感じる人たちと休みの日を過ごすことが多い。写真を撮ったり、ご飯を食べたり、散歩するだけ。



ーーーーー 友達=尊敬している人。


尊敬している人が沢山いる。同じ時に、同じものを見たはずなのに、自分とは全く違う捉え方、感じ方をしている時があって、日々、刺激をもらっている。昔から、直接目の前の人にすごいと思うことや、楽しい、この人の感覚って面白いと思うことが多かった。だからテレビやアイドルにも興味が向かなかった。十分満足な世界がそこにあった。



ーーーーー 何故、生きる?


誰かの一部になるため。沢山の人やものの一部を引っ張ってきて、自分の一部にする。自分自身の ” 完成 ” に向かって生きる、自分自身を完成させるために生きる。完成すればいいというわけではなく、実際に “ 完成像 ” はその時その時で変わっていくし、そこに向かっている過程を大切に生きている。



彼女のアクセサリーをお迎えしてから、SNS上で発せられる言葉を見ていて、この子の頭の中を覗きたい、今までの生きてきた過程を知りたい、ずっとそう思っていたら、インタビューを快く引き受けてくれた。当日には私の過去に書いた記事を読んで、メモしてきてくれたり、パソコンを開いて作ってきた作品、今取り掛かっている作品のことについて細かく話してくれ、私の頭も心もお腹いっぱいに満たされた。彼女は自分の隅から隅まできちんと向き合う強い女性だった。彼女から生まれるものには魂が宿り、それを受け取った人はそれを感じることができるはず。私はまたいつか、みずみずしい彼女に会いに行きたい。



a m 3

わたしの生きたい世界で生きたっていいじゃない

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