お梅


数年前からアクセサリーとお弁当の写真、通称‘梅弁’の写真でフォロワーをどんどん増やし、来年からは本格的にアクセサリーを作って販売することを仕事にしようとしているお梅さん。



恵比寿にあるカフェで今までの経緯や暮らしぶりについてお話を伺ってきた。




両親は洋服屋さん。


幼い頃から両親は洋服屋さんを営んでいた。お婆ちゃんや親戚のおばさんが事あるごとにアクセサリーを譲ってくれるような、ファッションやお洒落という感覚がいつも側にあるよな環境で育った。


中学生のころからずっと洋服を作りたい、その道に進みたいといつも思った。普段着ているようは服ではなく、モードな洋服や舞台衣装の自分の手で仕立ててみたかった。だが、両親に反対された。ファッションの方に進むことはそんなに甘くない。洋服屋を実際に営む両親からの子供への愛があるからこその反対だったのだと思う。それから将来のことも考え、普通科の高校、また4年制の大学へ進んだ。


大学生の頃、お金が無かったために自分が身につけるアクセサリーは自分で作った。貴和製作所や吉祥寺を巡ってパーツを買い集め、製作した。次第に作ることが楽しくなり、地元のレンタルボックスに出店した。この頃は革を切ったり、ビンテージボタンでピンを作るというような比較的簡単なものだったという。


その頃、偶然にも雑貨店で貴和製作所のパーツを使ったアクセサリーが販売されているのを見つけた。ショックだった。自分が作っているものは購入したパーツをつないでいくという作業であり、もしかしたら他の誰かも同じパーツを使って似たようなものを作っているかもしれない。お梅さんは自分にしか作れない、一点ものが作りたかった。そして思うがままに、週に1回、彫金学校へ2年半通った。この頃から都内の東急ハンズにもレンタルブースにも出店するようになり、SNS上でも少しずつ認知されるようになっていった。





大学3年の秋、パリへ一週間、一人旅に出た。欧州の3大ジュエリースクールの1つであるパリの学校へ入学したくて見学をするために。写真で見るパリの街並み、映画で聞くフランス語にも憧れていた。フランス語をまともに話せない21歳の小さな小さな日本人が、アポなしで飛び込んだ。夢の街、パリにあるジュエリー学校がどんな授業をしているのか、中の様子をほんの少しでも見てみたかった。しかし、見学は断られた。来年の公開日に来て、と追い返された。


この旅で確信した。フランスで育った人とは価値観も感性も全く違う。もちろん、そこから生まれてくるアクセサリーも。その事を実際に自分の目でパリを眺めて実感した。だが、このフランスへの一人旅が今後の自信になったという。



次第に金属以外のアクセサリーも作りたくなるように。

スーツを揃え、就活を始める頃。アクセサリーに携わる仕事を探していたが殆どが販売。だが、やりたいのはつくること。つくることを生業とするため、就職するのをやめ、アクセサリーの専門学校に進学することを決めた。この頃、大学4年生。それから大学に通いながらアルバイトをし、専門学校の1年生前期まで通えるくらいのお金を自分で貯めた。



休みの日は0。

学校やアルバイトがない日は家でアクセサリーを作る。しかもアルバイトさえもアクセサリーを作る仕事だという。作ることが好きだから全く苦ではないらしい。近頃の予定がない日は何をしているのかと尋ねると。起きて、パジャマのままアクセサリーを作り、しばらくしてからコーヒーを飲んでまた作る。3時頃に遅めの昼食をとってまた作る。親が仕事から帰ってきてから晩御飯を食べ、12時過ぎまでまた作る。そして、もしそんな日があればそれは幸せな日だといった。また製作している時も、そうでない時も地球に優しそうな曲をいつも聴いている。違う曲だとそわそわしてしまい落ちつかないくなってしまい、自分の中がぶれてしまって作れなくなってしまうという。



幸せな瞬間。

自分の作ったもの喜んでらえた瞬間に立ち会えた時。男の人が婚約指輪を買いに来たとき。人の幸せを一緒に喜べる、本当に心の温かい人だとしみじみ思った。それから森で針葉樹に囲まれた空間にいるとき。近所に森があるらしい。



将来、自分のお店を持ちたい。

アクセサリーは体の一部であり、体に埋め込みたいくらいに金属が好きらしい。

例えば、突然体の一部がなくなったならもちろん不安になるだろうと思う。手や足、耳、口など何でも。アクセサリーも然り。いつも付けている指輪、ネックレス、ピアスがなくなれば不安になる。それはもう既に、その人にとってお守りのような存在になっているからであり、逆に言えば、自分でお守りを作ることができる。好きな人にもらったものを身につけていると、いつもすぐそばに存在を感じられる、そんな人と人を繋ぐ力もある。それがあると安心する、そういう存在がアクセサリーだという。生活の一部、体の一部、心の一部。体に直接身につけられるものである。


そんなアクセサリーのデザインはふとした時に浮かんでくるという。街中のフェンス、電灯、電車の中からぼーっと景色を眺めていると、気付いたらそんなアクセサリーのデザインになるようなものを目が追っているという。何気ない景色の一部がアクセサリーになる。そんな普段、見落としがちなところにキラリと光る美しいものや、大切なものが落ちているということなのかもしれない。




オーダーメイドのアクセサリー。

オーダーメイドの注文を受けた際には、その人の雰囲気や、似合うようなものを考える。案外パッと思いつく。自分が好きなものがベースとなり、ダイレクトに作品にも影響している。現在通っている学校の自由度の広い課題でも、結局はその人の色が出る。個性が出る。つまり、作った自分がつけたいと思うようなものになる。そんなお梅さんの特徴は「細かいものをつなげる」ことだと周りの友達によく言われるという。それをやっている間は無心になれるし、細かい作業が実際に好きらしかった。



ジュエリーに固執しているわけではない。

作る、生み出す仕事であれば、その対象はジュエリーでなくてもいい。今は、昔取り掛かりやすかったアクセサリーを作り続けてここまでやってきたけれど、それはたとえ家具でも何でも、ただ何かを「つくる」ということはずっと続けていきたい。つくるという行為はお梅さんにとってなくてはならないものであり、それが趣味でも仕事でも関係なく今後も続けていくのだと思う。




好きな時間

夕方。1日が終わる瞬間。みんなが家に向かって歩いてる姿を見ると幸せな気持ちになる。例えば、踏切がしまってみんなが開くのを待っている。みんな帰るために待っている、という所。逆に夜は気持ちが暗くなってしまって苦手とのこと。空や景色は好きだが心にはよくないという。



何故、生きるのか。

幸せになるため。型にはまらず生きていきたい。生きていれば、人に幸せを与えることができる。そして、誰かが幸せになることで自分も幸せになれる。

学校を卒業して、会社に就職するのが世の中の流れであり、安定と言われているが、実際どうなるかわからない。ましてや、明日死んでしまうかもしれない。自分は就職しないという道を選んだけれども、その選択が幸せにつながっていくのであればそれでいい。これからもやりたいことを、真っ直ぐにやっていきたい。だから最近はもし辛いことがあっても、幸せになるために生きているんだ、って思うようにしている。




そして2週間後、お梅さんからブローチが届いた。じーんと温かくなるようなお手紙と一緒に。わたしのイメージが白だったとのことで、それに映えるような天然石をあしらったもの。とびきり嬉しかった。わたしたちはみんな誰かが心を込めて作ってくれたものを着けたいと思う。そこに暖かさを求め、日頃心細くなった時にふと、肌に触れているアクセサリーに寄りかかるのだ。話を聞いていると、本当に周りの人、一人ひとりを大切に思っていることがじわじわ伝わってきた。だからこそ、お梅さんはここまで誰かのお守りになるようなアクセサリーを作ることができ、愛されるのだと思う。

a m 3

わたしの生きたい世界で生きたっていいじゃない

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